藤原孝章研究室

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ジャーナル18
こども支援の可能性−Su, Su, Su !−
津波孤児支援(タイ)と地球のステージ(神戸)
2011.04.05
(地震発生24日後)

1.冒頭のSu, Su, Su!(スー・スー・スー) とは、「夢を持って元気にいきましょう!」という意味のタイ語だそうである。4月3日大阪であった、プラティープ・ウンソンタム・秦さんの講演(主催:タイの『生き直しの学校』を支援する会)での「呼びかけ」 である。プラティープさんは、バンコク最大のスラム「クロントイ」で、社会開発や教育支援の活動をするNGO「ドゥアン・プラティープ財団:DPF」の代表である(http://jp.dpf.or.th/)


2.DPFは、2004年12月26日のインドネシア大地震(スマトラ島北西沖M.9.3)で津波の被害にあったタイ南部の被災地のこども支援にもあたっている(津波プロジェクト http://jp.dpf.or.th/?q=node/42。この地震と津波では、周辺各国あわせて20万人をこえる死者をだしている。タイだけでも5000人をこえる死者がでた(ウイキペディアによる)


3.今回は、「タイの津波被災孤児たちを支え続けて」と講演タイトルにあるように、日本の地震・津波被害に際して、自分たちの活動が何らかの参考になるのではないかという思いからの報告であった。活動の詳細は、DPFの「津波プロジェクト」のホームページによるとして、講演で印象的だったことを3つあげてみる。


4.まず、(1)災害直後から被災地のこどもの心のケアなどさまざまな活動を行ってきたこと、次に、(2)そのような取り組みを持続していくための施設を建設したこと。それが、津波で親を失った孤児が暮らせる「津波孤児センター」(バーンターンナムチャイ:慈愛の家、2006年)であり、地域住民のための「津波避難所&ユースセンター」(2011年)である。そして、活動の背景をなす(3)チャリティ(募金活動)と社会正義(貧困削減、こども支援)のバランスである。


5.避難所でのくらしは、時間がたつにつれて、食事、物資のほか入浴やトイレ、睡眠といったプライバシーの少なさが、ストレスを高めることは阪神淡路大震災でも報告されているが、地震や津波に遭遇したこどもや、家や親きょうだいなど肉親を失ったこどもの「心のケア」についても重要であることが指摘されている(このことは、4月4日放映のNHKクローズアップ現代「被災地のこどもたち」で取りあげられている)。


6.「震災の心理学」(3月25日)でも書いたように(ゼミ生が卒業研究でとりあげたように)、幼児体験として震災体験をもつことの意味は大きい。私も、報徳学園高校の教員だったときに、阪神淡路大震災を経験したが、ある生徒が「自分だけがたすかって友だちが亡くなってしまった。どうしても助けられなかった」といって職員室で泣いて訴えたことが一番つらかった。その生徒にとっては、その後の人生においてその「心の傷」を癒すのにどれだけのエネルギーと時間を要したのか想像してみると気が遠くなる(きっと乗りこえてくれたと思う)。


7.プラティープさんたちの活動は、被災したこどもに対してアートセラピーやスポーツ(サッカーなど)、唄や踊り、遊びを提供するものである。しかし、年齢に応じたケアも必要だとのことで、たとえば、就学前(0-5才ぐらい)のこどもには、先ず栄養などの健康面に配慮し、あそびを中心に、自分の居場所や安心感を持てるようにする、小学生(6-11才ぐらい)のこどもには、音楽やスポーツ、絵や手芸などをとおして、感情を対象化し、自分の気持ちをふりかえり、自分を理解できるようにする。中学生(12-14才)のこどもには、頼れる大人(成人)がいて相談にのれるようにすることなどである。もちろん、タイでは、心をつよくする、健康にするために仏教も大きな役割をはたしている。


8.このような活動(こどもの心のケア)は、一過的ではなく、当然息の長いものになる。当初は、被災地のテントで、避難所でやっていのだが、やがて、施設が必要になる。特に、津波で親を失った孤児の場合はそうである。そのようにして諸外国の支援も得てできたのが「慈愛の家」(津波孤児センター)である。ソフト(活動)がハード(施設)を生み出し、そこでの支援が私たちの参考にもなる(システムへ)。もちろん、日本では、こどもたちが早めに学校に復帰し、教室に集い、普通に授業を受ける、学ぶことが「心のケア」にもなっていくと思う。


9. チャリティ(募金活動)と社会正義(貧困削減、こども支援)のバランスについては、当日私が質問した。
プラティープさんたちは、阪神淡路大震災でも、クロントイ・スラムで募金し、また彼女自身も1ヶ月後に神戸に入っている。スラムの住民は、1日1000円程度の収入である。その1日分を寄付しようとしたという。今回でも同様に募金をし、すでに150万円(約1500日分の収入)は集まっているという。なぜこのような行動が可能なのだろうか。スラムの生活改善やこども支援で十分ではないのか、という問いである。


10.理由は単純である。奨学金などいろいろな方法で、日本からふだんお世話になっているからという。今回も、タイでのパートナーNGOである(公益法人)シャンティ国際ボランティア会:SVAの被災地(気仙沼から北)での活動支援や、スラムの若者を留学生として受け入れている仙台の私立学校に募金するという。いわゆる赤十字の義援金のルートではないが、日常の活動として社会正義をめざして行っていることが、緊急時の支援(募金)に結びつくというバランスのとれた考え方である。


11.その意味で、募金は赤十字(義援金)でだけでは十分ではない。NGOの活動を募金によって支援すること(支援金)も大切なのだ。なお、DPFと私や同女生の関係は、本研究室のホームページ「スタディツアー」2003富山大学2004富山大学2005海外こども事情バンコク編を見ていただきたい。クロントイ・スラムに訪問し、DPFおよびSVAの活動について学ばせてもらった。


12.さて、記述が前後するが、4月2日には、「地球のステージ」(NPO法人)の公演が神戸であった(主催:兵庫県ユニセフ協会)。「地球のステージ」については、「募金のゆくえ」(3月17日)にも書いたが、仙台空港の近くの名取市に事務所があって、地震と津波の被害はあったものの、流されずにすんだのだった。今は、NHKでも取り上げられたように(クローズアップ現代「心の危機、被災者を救え」3月31日放映)、ステージの事務局と兼用の「東北国際クリニック」において、24時間体制で医療救援活動に当たっている(名取市に3つあった病院で唯一残った医院である)。


13.「地球のステージ」代表の桑山紀彦さんは、1995年の神戸の震災の時にも医師として医療支援ボランティアとしてかかわってこられたが、今回のステージは、神戸と仙台をつなぐ意味で、「地球のステージ緊急復興編」と題して行われた。彼は、仙台の被災地を離れていいのか、という気持ちをいだきながら、被災地を代表してみんなに伝えに来たとのことであった。映像では、被災の状況を生で見せてもらうことになったが、改めて津波のすごさがわかった。3月10日まで普通に暮らしていた人々(消防士さんや農家の人、近所の人)が亡くなったり、田んぼが海水につかったりした映像はつらいものがあった。


14. 桑山さん自身も、そのような情景を心にため、24時間体制でクリニック(心療内科)にあたっているので、疲労もたまり、心も重いのか、途中で声を詰まらせながらも、アフガニスタン、ルワンダ、スリランカの難民キャンプのこどもの映像とともに、言葉を唄にしていた。今まで何度かみてきた世界の映像が、名取市の映像と重なると、世界と日本の奇妙な一致、相互関係が生まれてくるようだった。最後に、彼から、3月10日以前の普通の生活がいかに大切かを思い知った。悲しみだけではなく希望をもって、普通の生活を再建、再生していくことが大切だというメッセージがあった(まさに、Su, Su, Su! である)。


15.私は、桑山さんたちがいま、この神戸に来ている事実に心をうたれた。しかしよく考えてみると、このようなステージで彼がその想いを映像にして、唄にして表現することが彼にとっての「心の癒し」にもなっているのだと思った。地球のステージの公演を実現することも一つの支援ではないかと思った次第である(地球のステージのブログには、彼の日々の活動とともに心の情景が記されている http://blog.e-stageone.org/)。


16.私たちは、インドネシアの地震と津波を、もはや記憶の片隅に追いやってしまっている。しかし、心のケアは、被災地の復興、再生とともに時間のかかる道のりである。今回の「こどもの心のケア」という課題をとおして、日本(神戸、仙台)とタイ(バンコク)がつながることの事実が生まれた。緊急支援においては、募金(義援金や支援金)はあつまるが、再生、再建にむけたまちづくりでは、それ以上の資金と実行力(政治力)を必要とする。チャリティだけではない、資金や実行力をどう配分し、活用するのか、誰のための復興、再生なのかというジャスティス(社会正義、公正)もまた重要である。