藤原孝章研究室

ホーム >> 最近思うこと >>
ジャーナル16
震災の心理学
2011.03.25
(地震発生2週間後)

 心の不安というか焦燥感というか、胸騒ぎというか、そんな落ち着かない、不安定な気分が私のなかに起きている。

 この気持ちを普遍的に語る試みをしてみたい。なぜならそれは、今回の東日本大震災と無関係ではないと思えるからだ。テレビを通して繰り返し流される、地震と津波で破壊された被災地の映像が与える心理的影響といえるかもしれない。自ら被災し、目撃した阪神淡路大震災の被災地の様子も同時に想起されるからだ。

 最初は、頑丈な家屋やビル、道路や橋梁が、いとも簡単に倒れ、壊れるものだという「喪失感」があって、やがては人の生死、安否に関わる情報を確認することでの「悲しみやつらさ」「虚無感や安堵感」がやってくる。そしてライフラインの停止と復旧や救出、救援、支援を共有することへの「期待と勇気」のような感情がやってくる。さらに、避難所での日常、生活やくらしの再建、街の復興にむけての「元気と困難さ」がやってくる。
 こういう情感とともに現在の東日本の被災地の映像をみているのかもしれない。さらに、今回は、自らが安全な場所にあっての「自分になにができるか」の焦燥感も伴っている。

 この情感(心理)は、ニュージーランドからはじまっていたのかもしれない。阪神淡路大地震クラスの直下型地震といわれるクライストチャーチ大地震である(2011年2月22日発生)。クライストチャーチには、私が報徳学園高校の教員だった頃、ニュージーランド人の同僚教師とともに、1991年から95年にかけて、夏1ヶ月の英語研修プログラムで生徒を引率して2度、3度と滞在していた。自転車で市の中心にある宿舎から郊外の英語学校まで移動していたので、そのきれいな街並は印象的だった。

 しかし、街のシンボルである旧いレンガ造りの大聖堂が倒れ、耐震構造が不十分な英語学校の入ったビルも倒壊していた。テレビの映像が、連日、クライストチャーチ地震の被災現場や救出の様子を報道していたが、街全体はそれほど大きな被害はなく、液状化で家屋や道路が傷んだりしていることがわかってきた。かつての同僚教師は故郷クライストチャーチで大きな揺れにあったが無事だった。英語研修に出かけていた本学の学生も幸いにも無事だった(富山の外語専門学校の生徒さんの多くが犠牲になられた.冥福を祈ります)。

 そして、1ヶ月もしない間に今回の東日本大震災である(2011年3月11日発生)。クラッシュの映像を繰り返し見るのは、心理学的には、フラッシュバックを引きこすのであろうか。大人の私でさえ、こういう心理状態を体験するのであるから、その当時、児童や生徒であった(5?18才くらい)のこどもの心理はいかばかりだろうか。そして今回、被災した当事者のこどもたちにもどんな心理的な影響を与えているのだろうか。今、現在の人々の心のケアとともにその後の心のケアも非常に重要だと考える。

 というのも、阪神淡路大震災を幼児の時に経験したゼミ生が、自分の体験を、今年(2010年度)の卒業研究で取り上げ、16年後にやっと神戸にいくことができたと書いていたからである。少しオーバーな言い方をすれば。幼児体験の記憶(恐怖感や喪失感)を自分なりに「ケア」をし、「癒す」のに15年以上もかかったのである。でも、私がそうであるように、おそらく、今回のクライストチャーチ地震や東日本大震災の映像をみて、そのゼミ生もまた気持ちが揺れているのではないだろうか。

 加えて、今年のゼミ生の卒業旅行は、仙台と松島であったことも関連している。仙台空港も利用した。それは、2月16、17日のわずか2日間であったが、地震の時間からいえば一瞬である。仙台空港が津波にのまれる姿が映像で映し出されると、私は絶句する他なかった。本当に命の尊さと人の運命を感じずにはいられなかった(私たちと同様、卒業旅行に仙台に行っていた京大生3名が空港での津波で亡くなっている)(2011年3月24日 読売新聞  http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20110324-OYT8T00842.htm

 いま、私のなかにある感情は、「今できることは、今しておかなければならない(延ばしてはいけない)」という「刹那感」、「何かできないか、何か伝えられないか」という「渇望感」があって、それが達成できない「焦燥感」や「不安感」のようなものである。もしかしたら、これは、クラッシュの映像とともによみがえるフラッシュバックの心理(災害の心理)なのかもしれない。

 今回の日本の地震と津波、原発事故は世界の注目と心配、監視の的になっている。関西にあって被災を免れた私は、まずゼミ生、卒業生、同僚教員、友人や知人、あるいは所属する学会やNPOの理事や会員の安否確認をメールや電話で行い、災害伝言板などで検索した。 

 幸いにも、直接の犠牲者はおられなかったが、親戚や知人などをなくされた方もおられる。原発事故で避難を余儀なくされた卒業生の家族もおられた。東京で働いている卒業生もいる。広域にわたる被災と原発事故の放射能汚染は、私たちを新しい不安にかりたてているのかもしれない。犠牲者の皆さんのご冥福を祈るとともに、未曾有の原発事故の早期の収拾と安定化を祈るばかりである。

 今回は、タイ、韓国、中国、イギリスと、今まで交流や研究を共にしてきた知人や仲間からも安否確認のメールをいただいた。人のつながりやネットワークの広がりは、阪神淡路大震災のときとは比べ物にならない。このような支えやケアが、私も含めて人々の不安に対する一つの「癒し」になることを期待したい。