藤原孝章研究室

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2006.04.24 改稿(2005.05.23初稿)
同志社女子大学 現代社会学部 現代こども学科
藤原孝章研究室の紹介

私の「こども学」

目次
 はじめに(「現代こども学概論」の一部として)
 1.「こども学」とは?-ポスト・モダンの教育思想
 2.日本の学校を取り巻く状況
 3.私の「こども学」研究の方法
 4.私の「こども学」の教育実践
 5.私の研究課題-社会科、国際理解、開発教育
 6.私の教員観-教員養成・教員研修に関わって

はじめに(「現代こども学概論」の一部として)
 同志社女子大学の現代こども学科は、2004年4月に誕生した新しい学科です。資格的には、教育課程の中に小学校教員の免許がとれるようになっていますが、従来の児童教育学といった学校に限られた子どもだけではなく、現在、家庭や社会の中でおきている子どもに関わる事象や、地球や世界の中でとらえられる子ども像など、子ども産業に関わるような創造性など、できるだけひろく子どもをとらえようとしています。社会学部の中に教育学的な学科ができたことの意味はここにあると思います。
 以下は、一年生を対象にした「こども学」の導入科目である「現代こども学概論」における講義の一部を、私の「こども学」として、紹介したものです。

1.「こども学」とは?-ポスト・モダンの教育思想
 子どもを広くとらえる場合、学校、社会、家族の近代的な枠組みから考えていきます。学校は、病院や監獄と同様、近代国民国家によって出現しました。身分社会と家内生産の場である「家族」から「子ども」を引きはなし、「学校」に収容し、国民にするための教育(「子ども」を「大人」=「市民」にするための教育)を施すものとされたからです。
 市民社会では、この国家との契約関係をもった大人を市民として権利を付与し義務を負わせました。家族もまた、労働者の再生産にかかわるものとして、位置づけられ男女の役割固定(男=労働者、女=育児、家事)が行われました。(図1)





 ところが、現代は、この学校、社会、家族の状況が大きく変化をしてきましたと考えます。国家との契約関係が希薄になり、市民の権利義務も揺らいできています。コミュニティの再構築において、シティズンシップの意味も問われています。学校も、社会の明確な目標を指し示すではなくなり、「大人」像も揺らいでいます。教師と児童・生徒の関係もとらえ直しがなされています。家族もまた、その本質は何かが問われています。このようにして、荒れる成人式、フリーター、不登校、ひきこもりなどの現象が出現しています(図2)。
 子どもを取り巻く社会の状況を、こうして広く見ていったとき、「学ぶ、育つ、遊ぶ、参加する」という子どもの行為(子どもの権利条約で取り上げられている基本的な権利)を、地球や家族、企業、国家、社会とのかかわりにおいて見ていくことは、社会学的な視野をもった教育学を志向するものといえるでしょう(図3)。


2.日本の学校を取り巻く状況
 では、今度は、日本の学校を取り巻く状況について考えてみましょう。
 私は、これを、次の4つの視点から。4つの論理のせめぎ合いの場としての学校について、見ていきたいと思います。

 @国際競争力(企業の論理)
 A規制緩和・自由化とナショナリズム(国家/行政の論理)
 B学校5日制と生涯学習化(地域・市民社会の論理)
 C誰が学ぶのか、学校とは何をするところか(子どもの論理)

@国際競争力(企業の論理)
 冷戦の終結以後15年余がたち、経済のグローバリゼーションが急速に進行しています。EU・ヨーロッパ連合(1993)やWTO・世界貿易機関など、共通市場化や貿易の自由化がその顕著な現れでしょう。その中で、世界の企業には、国際競争に勝ち抜くための、グローバル・スタンダードとしての技術力、研究開発力、資本力、人材育成力などが求められています。日本の企業も例外ではありません。むしろ、世界でも有数の工業国としてグローバルな市場でのスタンダードの確立にしのぎを削っています。
 したがって、企業の論理は、国際競争に勝ち抜くためのコミュニケーション能力や創造性の涵養を基礎教育(義務教育)や高等教育に求めています。特に、非英語圏(非ヨーロッパ言語圏)に属する日本では、いまや「世界の工場」となった東アジア地域において、国際共通語としての英語コミュニケーション力の重要性が高まっています(シンガポールや香港、インドは英語が公用語の1つです)。
 このことが、韓国や中国がそうであるように、基礎教育(小学校教育)の段階からの英語教育導入の議論にもなっています。また、昨今の「ゆとり教育」批判においても、「ドリルや教養」を中心とする知識重視の学力観が主張されています。
 私自身は、「ドリルや教養」の知識重視だけでは身に付かない創造的な学力の育成(創造性の涵養)こそが、教科学習ならびに教科横断的で包括的な「総合的な学習の時間」(課題にそって自ら学び自ら考える時間)において、粘り強く実践されていくべきだと考えます。しかし、「世の中」は、学校に英会話と「ドリルや教養」中心の知識重視を性急に求めているようです。

A規制緩和・自由化とナショナリズム(国家/行政の論理)
 企業の論理と表裏一体かもしれませんが、国家や行政も、規制緩和の大きな流れの中で、教育に自由化や選択の論理を持ち込んでいます。たとえば、現行学習指導要領は「大綱化・基準化」の方針が示されているし、義務教育予算の執行における自治体の権限拡大、あるいは学校経営における校長の裁量権拡大もそのような流れの中にあります。
 教育は、本来、国家の集権的な統制・規制にはなじまないものですから、このような規制緩和や自由化の流れはある意味で、是とすべきものでしょう。
 しかし、負の側面も見ておかなくては行けません。少子化にともなう学校の統廃合や市町村合併による校区の広域化によって、学校が「選択と競争」の原理にさらされるようになっています。学校が、特色ある教育活動を実践し、保護者や地域に学校の特色を発信することは大切なことであり、必要なことなのですが、知識中心の学力観に偏った基準で「選択と競争」が行われると、学校間に格差が生じてしまいます。「選択と競争」が正当に機能するためには、学校評価に多様な基準が求められるべきでしょう。
 他方、国家や行政の論理として、国際社会に生きる日本人としての自覚として国旗・国歌の強調、教育基本法「改正」の動きにおける「愛国心」条項、さらには、共同体的な公共性としての「奉仕・ボランティア活動」の義務づけなどの議論が出てきています。これらは、「自由化と選択」に伴う、逆の側面としての、集権化・ナショナリズムの動きとして指摘できるでしょう。

B学校5日制と生涯学習化(地域・市民社会の論理)
 学校5日制の導入は、長期的な視点で眺めれば、学びの場を学校に限定しない、生涯にわたる学習および学校外(地域社会)での学習という論理を採用したという意味で画期的であると私は思います。その意味では、日本の教育も、欧米諸国と同様のスタンダードを獲得したともいえるでしょう。
 これは、学校は地域のものであり、学校が保護者や子ども、地域とともにあるべきだという考え方を裏付けるものですし、地域のリソースの活用や、学校、行政、家庭に次ぐ、いわゆる「第4の領域」(市民活動)としてのNGO/NPOなどとの協働も示唆するものです。
 このことは、当然ながら企業や国家・行政の論理とせめぎ合うのですが、今後、日本における市民参加型の社会の形成に向けて、学校が果たす役割が「地域・市民社会の論理」から構築される必要があると考えます。

C誰が学ぶのか、学校とは何をするところか(子どもの論理)
 最後に、指摘しておきたいのは、学ぶ主体としての「子どもの論理」です。現行の学習指導要領は、児童・生徒が「自ら学び、自ら考える力」としての「生きる力」の育成を目標に掲げています。学びの主体を「子ども」においた教育観・学力観として、私は評価したいと考えています。
 もちろん、学校は、学習者のみで成り立っているわけではないし、子どもの学びには、教師の支援や指導(ときには教導でさえ)が不可欠です。しかしながら、学びの主体を子どもに据えるということは、教師の計画やプログラムを一方的に押し付けるのではなく、教師は、子どもが自らの学びをデザイン(設計)していくうえでの学びの支援者(ファシリテーター)、学びの引き出し役(エデュケーター)として、その役割や意義があることを示したものといえます。
 「こども学」は、まさにこのような「こどもの学びのデザイン」を支援する研究であり、学問といえるのではないでしょうか。

3.私の「こども学」研究の方法
 そうしたうえで、私の「こども学」研究を成立させていく方法的な根拠を示します。
 まず、教育学的には、学習の考え方を「こどもの学びや経験」を中心に考え、こどものエンパワーメント、こどもの変容・獲得としての学び(Making a different)を重視したいと考えます。次に、社会学的には、図3で示したような、子どもの権利条約を見据えた市民としてのこども観を採用したいと思っています。また、世界認識としては、グローバリゼーションがもたらす地球市民意識、中心と周辺化、貧富の差の拡大する状況を見ていきたいと考えます。最後に、このような見方・考え方をもって、「知る・わかる・生きる」の広い枠組みのなかで、社会科教育学を研究、構築していければと考えています(図4)。


4.私の「こども学」の教育実践
 以上のような「こども学」のパースペクティブにたった私の教育実践の一部を写真によって紹介したいと思います。
 1つは、教師と学習者の双方の視点を考慮した「教材開発」です。写真@-Bは、私が富山大学在職中に、教育学部の学生と一緒に考えた途上国の理解や人権学習、アメリカ(ハワイ)理解を支援するための社会科教育(公民的内容)の教材開発の事例を示したものです。また、写真Cは、教員研修などで好評をいただいている多文化社会における共生のあり方をさぐる「ひょうたん島問題」の教材活用の事例です(「ひょうたん島問題」についてはこのホームページをご覧ください)。


写真@ 教材開発「識字すごろく」
(2003年富山大学教育学部「社会科教育法」)



写真A 教材開発「人権マップ」
(2003年富山大学教育学部「社会科教育法」)



写真B 教材開発「ハワイすごろく」
(2002-03年国際交流基金日米センター研究助成
報告書の詳細については当ホームページ参照)



写真C 教材開発「ひょうたん島問題」ワークショップ
(2005年8月寝屋川市教育センターでの教員研修)


 2つめは、開発教育に関連して、「フィールドをもった学び」をめざしたいということです。写真D-Fは、富山大学在職中の2003年、2004年と、ゼミ生や学生有志とともにタイの貧困地域での日本のNGOの活動、タイでの環境保全の現状などを視察したものです。
 また、写真G-Jは、富山大学学生有志と行なったスタディツアーの経験を踏まえて、現在の同志社女子大学での海外フィールドワーク授業科目である「海外こども事情」(タイ・バンコク編)における学生の研修の様子を示したものです。
 このようなスタディツアーは、いわゆる旅行代理店のプログラムにはなく、また現地での訪問先や活動内容から見て、カウンターパートなるNGO(市民団体)との連携が必要であるし、また、大学の正規科目とするためには、学生の事前・事後研修のノウハウなど経験の蓄積も必要とされます。その意味で、富山大学での経験は不可欠なものだったといえます。
 なお、富山大学および同志社女子大学における海外スタディツアーの詳細については、当ホームページをご覧ください。


写真D 2003-04年開発教育・スタディツアー(富山大学学生有志)
タイ・バンコクでの日本のNGO・SVA(シャンティ国際ボランティア会)
活動視察(移動図書館)



写真E 2003-04年開発教育・スタディツアー(富山大学学生有志)
バンコク郊外の海岸・エビの養殖場



写真F 2003-04年開発教育・スタディツアー(富山大学学生有志)
タイ南部の国立公園(マングローブ林の保全)



写真G 05同志社女子大学授業科目「海外こども事情」(タイ・バンコク編)
バンコクのスラムの幼稚園での交流



写真H 05同志社女子大学授業科目「海外こども事情」(タイ・バンコク編)
タイ・バンコクのNGO・DPF(ドゥアン・プラティープ財団)訪問



写真I 05同志社女子大学授業科目「海外こども事情」(タイ・バンコク編)
タイ・バンコクのNGO・SVA(シャンティ国際ボランティア会)訪問



写真J 05同志社女子大学授業科目「海外こども事情」(タイ・バンコク編)
タイ・バンコク郊外の児童施設ハッピーホーム(バンコクYMCA・横浜YMCA)訪問


 3つめは、「学んだことを伝えるための活動」です。特に、こども学科の学生にとっては、将来教員をめざすものが多く、そのためには、地域での様々な活動に積極的に参加して、自らの学びを深めるとともに、それをどのように伝えるか、何を伝えていくのかが重要なポイントになります。写真Kは、学生たちが、海外こども事情で学んだことを、いわゆる「アウトリーチ教材」を作成して、近隣の小学校に出前授業にでかけたものです。学びの円環をさせていくこと(自らの学びと他者への伝達、インタラクティブな学び)こそ、「こども学」の重要なプロセスだと考えます。
 写真L・Mは、学生たちが同志社女子大学の現代社会学部に作っている自主的な研究会での学びやボランティア活動の様子を示したものです。社会や地域での活動を経験することは、日本の学校をとりまく状況においても指摘したように、重要なことだと考えるからです。


写真K 2006年出前授業・地域の小学校。
海外こども事情(タイ・バンコク編)で学んだことを伝える。



写真L 2006年同志社女子大学「NGO・開発教育研究会」(合宿)
学生たちによるパーム油について考えるワークショップ



写真M 2006年NGO・開発教育研究会(ボランティア)
2006年和歌山県国際交流協会での会場運営(「地球のステージ」公演)


 4つめは、社会科教育の教科原理に関連して、私が注目しているのは、「社会形成の主体としての市民性育成(公民的資質)」の議論です。現在、科学研究費の助成をいただいて、イギリスにおけるシティズンシップ教育の現状の調査など、京都教育大学や広島大学の先生方と共同研究をしています。写真Nは、調査にて訪問したロンドンの中等学校のものです。


写真N 2004年英国市民科教育視察調査
(ロンドンの中等学校)・科学研究費助成




 以上、1.社会科教育(公民的内容)の教材開発、2. 開発教育に関連した海外スタディツアー、3. 学んだことを伝えるためのアウトリーチ教材の開発および出前授業・社会参加体験、4.社会科教育の柱である市民性育成の研究などが、私の教育実践であり研究であります。これを図式化すると、図5のようなフレームを得ることができます。

5.私の研究課題-社会科教育、国際理解教育、開発教育、グローバル教育
 では、具体的にどのような研究課題をもって取り組んでいるかを簡単に紹介します。すでに見てきたように、私は、社会科や国際理解教育・開発教育のカリキュラムや教材の研究をしています。たとえば、今まで次のような研究を行ってきました。

(1)『外国人労働者問題をどう教えるか-グローバル時代の国際理解教育』明石書店、1994年
(2)『ひょうたん島問題-多文化共生をめざして-地球市民教育参加体験型学習CD-ROM教材(テキストパック)』デジタルマジック、2000年
(3)開発教育推進セミナー編『新しい開発教育のすすめ方-地球市民を育てる現場から』古今書院、1995年
(4)開発教育研究会編『新しい開発教育のすすめ方2 難民-未来を感じる総合学習』古今書院、2000年
(5)「難民問題を考える社会科の授業方略-単元開発のための教材理解と授業づくりの視点について-」『富山大学教育学部研究紀要』第54号、15-28頁、2000年
(6)「地球市民としての生き方を探る授業構想-高等学校における「総合的学習の時間」(「難民学事始め」)の場合-」日本グローバル教育学会『グローバル教育』第3号、2000年、2-15頁
(7)「地球的課題を学習する小学校社会科の授業構成-J.Rutterの『難民(小学校版)』を事例として-」全国社会科教育学会『社会科研究』第53号、2000年、1-10頁
(8)「中学社会(公民的分野)における総合的単元の開発-国際空港を素材とする学習単元の試み-」社会系教科教育学会『社会系教科教育研究』12号、2000年、9-16頁
(9)「『総合的な学習の時間』の学習原理とテーマ設定に関する一考察」『富山大学教育実践 総合センター紀要』第2号、1-10頁、2001年
(10)「グローバル教育の教育内容開発に関する一考察-教授書Global Issues の場合-」社会系教科教育学会『社会系教科教育学研究』第14号、2002年、1-8頁
(11)「グローバル教育のカリキュラムに関する一考察-W. M.Kniepのカリキュラム開発論と教授書Global Issues の場合-」日本グローバル教育学会『グローバル教育』第5号、2003年、38-51頁
(12)「国際理解教育における平和学習のあり方-Global Issues in the Middle School 『ノーベル平和賞』の授業事例を中心に- 」日本国際理解教育学会『国際理解教育』第9号、2003年、62-75頁
(13)「アクティブ・シチズンシップを育てるグローバル教育-イギリス市民性教育Get Global!の場合-」同志社女子大学社会システム学会『現代社会フォーラム』No.2、2006年、21-38頁
(14)「時事問題学習の現代的意義と単元開発の方略」同志社女子大学『総合文化研究所紀要』第23巻、81-96頁、2006年

 外国人労働者、多文化共生、難民問題、平和、時事問題、総合学習、シティズンシップなどが、社会科、国際理解教育、グローバル教育といった枠組みの中で取り上げられていることがわかります。  国際理解は、単に国と国との理解といった限定的なものではなく、開発や平和、環境、文化、人権などの地球的課題をはじめ、地球的な相互依存、グローバルな歴史など、現代世界に生きる私たちの総合的な社会経験領域をもとになりたつものです。国際理解教育は、グローバル化と多文化化が進行する世界と地域コミュニティの中にあって、持続可能な地球社会と民主的な市民社会の形成のために、すすんで課題の解決に参加し、責任ある市民を育てようとする点で、広い意味での社会科教育であると私は考えています。
 このような観点から、私は、内容の広領域性と相互連関性と地球的視野の獲得や地球市民的資質の育成という目標から、小学校から高校までの一貫した国際理解教育(グローバル教育・地球市民教育)のカリキュラムが必要であると考えます。
 現在は、イギリスのワールドスタディーズやシティズンシップ教育、アメリカ合衆国のグローバル教育のカリキュラム・モデルとそれに基づいた教授書や授業事例を分析し、そのなかから国際理解教育のカリキュラム・モデルおよび学習デザインを取りだそうとしています。

6.私の教員観-教員養成・教員研修に関わって
 現在、学校の教員は、授業づくりにおいて、より一層の独創性と方略性が求められています。「総合的な学習の時間」や教科の「発展学習」など、カリキュラムや教材開発の考え方が柔軟になり、一人ひとりの教師が、学習者のニーズを踏まえた学びの内容を組織できるようになったからです。
 また、日本社会の内外を取り巻く状況は、教師に地球的視野と地域の視点、市民的権利と責任の価値を身につけることの重要性を教えています。
 このような観点から、私は、大学での教育・研究のみならず、現職教員研修やファシリテーター養成講習にも積極的に関わっています。私が考えている「教師力」とは次のようなものです。ゼミや講義を通して、このような力を備えた教員(質の高い教員)を育てることができたら、と考えています。

「教師力」
・実践力−こどもに積極的に関わり、授業などを行なう力
・企画力−課題や問題の在り処を明確にし、解決に向けた提案をできる力 
・創造力−既成の枠組みをふりかえり、新たな価値を生み出していく力
・表現・コミュニケーション力−提案や企画を伝え、説明、説得できる力
・総合力−多様な価値を認め、他者と協同して、問題に関わろうとする力