藤原孝章研究室

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2005.06.20
同志社女子大学 現代社会学部 現代こども学科
藤原孝章研究室の紹介

私の開発教育論
学びとしての開発教育 臨床的アプローチ

 以下は、私の研究分野である開発教育について述べたものです。北海道教育大学札幌校国際理解教育課程での「開発教育論」(集中講義、2001-04)の授業内容をまとめたものをもとにしています。開発教育の定義や内容、学習方法について述べるとともに、ワークショップをとおして、途上国支援・国際協力から地域の多文化共生やくらしの見直しへと視点を広げることも開発教育であることに気づいていく様子を紹介します。札幌校だけではなく函館校、釧路校などからも毎年30 40名の学生が受講してくれました。彼ら/彼女らがいなければこのような記録・報告は出来ませんでした。講義の機会をあたえていただいた大津和子先生と学生諸君に感謝します。

 1.はじめに
 開発教育は、先進国による途上国の開発援助から始まっていったという経緯から、ともすれば、政府やJICAの開発援助や国際協力政策、あるいはNGOなどの市民活動事業にかかわる広報的・啓発的な教育であると誤解されています。
 たしかに、開発教育では、途上国にかかわる開発や環境、平和や人権などに関する問題をテーマにしたり、ボランティアなど社会変革や社会形成にかかわる市民活動の意義をテーマにすることが多いです。しかし、教育を開発援助政策の手段や道具と考えたり、「学ぶ主体」を抜きにした広報・啓発としてとらえることには賛成できません。
 他方、開発教育を、教育方法やカリキュラム開発論、教科教育や生涯学習論の中に解消してしまうことは、開発教育のオリジナリティを奪ってしまうことにもなります。
 「開発教育」であるために、開発にかかわる問題と教育の2つを切り離して考えることは出来ません、その意味で開発教育は、地域や地球規模の諸課題を焦点にしながら、問題への気づきやかかわり、問題解決の行動といった学習プロセス、ふりかえりや「参加による学び」を重視し、自己と世界を問い直す教育であるといえます。(注1)
 というわけで、北海道教育大学札幌校でおこなった開発教育論の講義を、学びとしての開発教育として、まとめてみることにします。

 2.開発教育とは何かー構成的・仮説的定義
 まず、開発教育とは何かについて、参加者が開発教育に対して抱いてるイメージや言葉を構成するところからはじめます。4人1組のグループに分かれて、一人ひとりがイメージや言葉をブレーンストーミングのように提示し、それらをグループとしてウエビングという手法を使って模造紙にまとめていきます。代表的なものを3つあげました。
 「開発教育」イメージワード・ウエビング
 国際理解関連型

 図1は、開発教育を国際理解や異文化理解との関連でとらえようとするもので、文化やグローバリゼーション、ジェンダー、政治、教育などを先進国と途上国の関係性の中で考えようとしています。


(図1) 「開発教育」イメージワード・ウエビング
課題・テーマ型

 図2は、発展途上国の貧困という大きな「傘」のなかで、国際協力や女性、子どもといった課題やテーマを中心に開発教育を考えていこうとしているようです。これらを、ジェンダーや就学率、開発援助機関などの関連で、「万人のための教育」という課題とも結びつけようとしているようです。


(図2) 「開発教育」イメージワード・ウエビング
 カテゴリー型

 図3は、開発教育が行われる空間を国内と国外にわけたうえで、方法やテーマ、状態と援助というカテゴリーとして考えようとしています。


(図3)

 イメージワード・ウエビングのいいところは、学生諸君のこれまでの学びの傾向が推測できるし、学生のニーズを踏まえた授業を行なうことができる点です。学生は1,2年が主体ですが、年度末におこなったせいか、大学での学びをよく反映しているように見えました。
 なお、話し合いや議論の仕方については、グループを4人ぐらいにするのが適切です。なぜなら、司会進行役、記録役、発表役、話し合いのもり立て役といった役割分担ができ、順番に役割を交代していくと、話す、聴く、表現する、発表するといった学習のプロセスを体験でき、それらの技能が効果的に身に付きます。

 3.開発教育とは何か−演繹的定義
イメージワードを踏まえた上で、開発教育に関する代表的な定義を2つ提示します。1つは、田中治彦氏によるものです(『南北問題と開発教育』亜紀書房、1994年、125頁)

 地球規模の開発問題と南北問題の構造と原因を理解し、基本的人権の尊重、環境の保全、文化的アイデンティティの尊重のうえに立って、より公正な地球社会の実現をめざして開発問題と南北問題の解決に向けて参加する態度を養う教育学習活動(下線部は引用者)

 下線部から見てもわかるように、開発教育のテーマを「開発問題と南北問題」に焦点化しているところに特徴があります。
 もう1つは、開発教育のナショナルセンターともいうべきNPO法人、開発教育協会(DEAR)の機関誌(36号 51号、1997年 現在)に掲げられているものです。

 私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる 公正な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動。
 そのねらい:1多様性の尊重、2開発問題の現状と原因、3地球的諸課題の関連性、4世界と私たちのつながり、5私たちのとりくみ(引用者による要約。下線部は引用者)


 ここでは、開発をめぐるさまざまな問題をとりあげ、共生と公正な社会の形成をめざした。広くて、網羅的・包括的な規定が、開発教育に対してなされています。
 私も、どちらかというと、後者の、より包括的な定義を支持するのですが、かつて「開発教育の領域・内容」として、次のようにとらえたことがあります。(溝上泰・大津和子編『国際理解重要用語300の基礎知識』明治図書、2000年、115頁)

 開発教育は、物質的、経済的な指標だけではなく、社会的、文化的な指標まで含めて、貧しさや豊かさの意味を問いなおし、望ましい開発のあり方、人間としてのあり方・生き方を考えようとする教育である。したがって、その内容は、貧困や南北の経済格差からみた開発問題だけではなく、人権、環境、平和、多文化、ジェンダーなど関連領域も含めて幅広い。

 しかしながら、このように広く規定すると、グローバル教育、国際理解教育、多文化教育、人権教育、平和教育、環境教育などとの関連や包括性が課題になってきています。
 たとえば、私は、国際理解教育とグローバル教育をほぼイコールで考え、その目標と内容・領域を、次のように規定しています(本ホームページ上の「私の国際理解教育論」参照)。

 国民育成型教育目標から地球市民育成型教育目標へ
 学習内容領域
 1.文化の多様性・普遍性・対立性
 2.グローバリゼーション 関係性と構造
 3.地球的諸課題 問題解決・社会参加力の育成
 4.未来への選択 生きる力・市民力

 領域的には、重なる部分が多いのですが、とりわけ日本の国際理解教育と比べてみたとき、開発教育らしさ、開発教育のオリジナリティは、NGOなど市民団体の国際協力の現場での実践や地域での多文化共生の活動の経験を生かすところにあるのではないかと思っています。
 「持続可能な開発のための教育」(Education for Sustainable Development)という取り組みが、国連で始まり(2005年からの10年間の行動計画)、日本でも政府や民間で、実践に向けた議論が行われています。「持続可能な開発のための教育」が、これらの教育の包括概念になっていくのかどうかも気になるところです。

 4.開発教育の歴史・背景
 次に、歴史的な流れから、開発教育を見てみましょう。開発教育の始まりは、1960年代に、独立した旧植民地諸国の貧困の現状を見た英国NGOやキリスト教系の人びとのキャンペーンから始まったといわれています。また、国連でも60年代、70年代の2度にわたる途上国の開発援助プログラムから、先進国の人びとに途上国の現状を知らせ、理解してもらうための開発教育が必要とされたといわれています。
 ユネスコの1974年「国際教育」勧告が、環境や開発などの人類共通の課題を取り上げるべきだとしたのも、このような経緯と密接に関連しています。欧米の開発教育やグローバル教育が、大学などの研究機関で取り組みをみせはじめたのも、これと前後しています。
 日本に開発教育が入ってくるのは1980年代の初めです。国連のよびかけにYMCAなどの社会教育団体やNGOが応じたとされています。その協議体である「開発教育協議会」(現在のNPO法人開発教育協会の前身)ができました。このような経緯から、学校にはほとんど無縁だったのです。
 学校教員であった私の経験からいえば、日本における開発教育が学校にも知られるようになったのは、1990年代に入って叫ばれるようになった「国際化教育」(「私の国際理解教育論」参照)と、政府開発援助ODAがドル・ベースで世界最大になったことが関係していると思います。特に後者ではその効果をめぐって新聞などがとりあげ、開発援助に対する「国民理解推進としての開発教育」が外務省内に必要とされたのです。
 それに、世界の情勢も大きく変化してきました。1980年代のアフリカの飢餓キャンペーンは、途上国の現状への関心を高めましたし、1990年代は冷戦崩壊後の民族紛争の激化や難民の大量発生が起き、開発が平和や人権に深くかかわることもわかってきました。
 さらには、欧米では、1980年代を通して、途上国での開発支援の経験などを組み入れた教材開発や学習方法が研究、開発、実践され、その成果がテキストとしてまとめられました。なかでもイギリスのワールド・スタディーズ・プロジェクトの成果は、参加型学習やアクティビティとして日本に紹介され、関心ある教員の目に留まりました。
 現在でも開発教育は外務省やJICAで、国際理解教育は文部科学省で使用され、学校教員は、開発教育の授業実践においては、形式的には国際理解教育として行なっているところが多いようです。
 しかしながら、開発教育は、市民活動や社会教育、国際協力政策の中で培われてきたものであるからこそ、学校と連携できるリソースを提供できるものです。「開かれた学校」や「生きる力」の育成といった学校教育の言説が変化している現在こそ開発教育が必要とされています(注2)

 開発教育関連年表
 1946 ユネスコ憲章「人々の心の中に平和の砦を」
 1948 世界人権宣言
 1956 アジア・アフリカ会議
 1960 「アフリカの年」、国連開発の10年(近代化・工業化政策→失敗)
 1960年代:英国のOxfamなどのNGO活動→開発教育の始まり
 1970 国連開発の10年(第2次) 開発教育の必要性
 1974 ユネスコ「国際教育」勧告(人類共通の課題)
    →欧米:開発教育やグローバル教育
    →日本:異文化理解教育・帰国子女教育(国際理解教育)
 1982 開発教育協議会(NGOの協議体)
 1980年代後半 ユニセフ:アフリカの飢餓キャンペーン
 1980年代:英国で「新教育」(反人種差別教育、多文化教育、ワールドスタディーズ、開発教育など)
 1990 子どもの権利条約(国連採択、日本の批准は94年
 1990年代;日本のODA世界一、ODA広報としての開発教育(外務省)
     冷戦終結、民族紛争激化、グローバリゼーションの進行(貧富の差の拡大)
 1995 阪神淡路大震災、ボランティア・市民活動への関心
 1996 ユネスコ「学習:秘められた宝」
 2001 9.11ニューヨークテロ事件、アフガン攻撃
 2002 日本:総合学習の実施、英国:Citizenship導入
 2003 開発教育協会(DEAR)のNPO法人化
 2004 JICA独立行政法人:開発教育への取り組み
 2005 国連・持続可能な開発のための教育10年始まる

 5.開発教育の学習方法(1) 世界を身近に理解する方法(教材開発・資料)
 開発教育の特色は、その学習方法にあるといっても過言ではありません。これは、先進国と途上国のあり方を、単に貧しい人びとに寄付をしたり、援助をすればよいと考えるのではなく、先進国の人びとの暮らしが途上国の人びとの暮らしと何らかのかかわりを持っていると考えるからです。貧困を欠乏(お金やモノがない)ととらえるのではなく、暮らしの中の多様な要素としての選択可能性や関係性の分断としてとらえるからです。
 開発教育では、「世界を身近に理解する方法」として、多様な教材開発を試み、自己と世界のあり方、関係性に気づいていくためのアクティビティや参加型学習を重視するのです。

 ・身近な指標に換算する
 それでは、世界を身近に理解する方法を例示してみましょう。まず、100人や1秒といった身近な指標に換算する手法があります。有名な資料は、「100人村」や「1秒の世界」といったものがそれです。

 『世界がもし100の村だったら』マガジンハウス、2001年(現在、第3部まで刊行)
 ・すべての富のうち、6人が59%をもっていてみんなアメリカ合衆国の人です。74人が39%を、20人がたったの2%を分けあっています。
 ・75人は食べ物の蓄えがあり、雨露をしのぐところがあります。でも、あとの25人はそうではありません。17人は、きれいで安全な水を飲めません。
 ・村人のうち、1人が大学の教育を受け、2人がコンピューターをもっています。けれど、14人は文字が読めません。

 山本良一編『1秒の世界』ダイヤモンド社、2003年
 ・1秒間に、0.3人、4秒にひとりが飢えによって命を落とし
 ・1秒間に、5才以下の子ども48人が汚染された水や食糧で下痢になり…
 ・1秒間に、320万円の軍事費が便われ…
 ・1秒間に、テニスコート20画分、5,100?Fの天然林が消失し

 地球上の60数億人の人口を100人に換算したり、いま起きていること実感するために1秒に換算する手法は、「遠くて、複雑な」事象が、単純化され、私たちの具体的な日常と比較することを可能にしてくれます。(「100人村」については開発教育協会でアクティティ教材として販売されています。http://www.dear.or.jp/index.html

 ・図やグラフにする
 次に、世界を身近に理解する方法としては、図やグラフにするという手法があります。たとえば、先に紹介した田中治彦氏(1994)の著書の中では、GNPによって世界を描いた地図(1)が紹介されています。イギリスには『75/25』という本があって、その表紙のイラスト(2)などたいへん示唆的です。

(1)   (2)

(3)   (4)

 また、国連開発計画UNDPは、1994年に「貧困のワイングラス」という興味深い図(3)を作成しています。世界の人口を20%づつ5段階に階層化して、上位20%の人が80%の富を享受するという富の偏在を図にしたものです。他にも、世界企業と各国GNPを比べてランキングした資料(4)なども、先進国の企業の年間の売り上げが、多くの独立国家のGNPよりも多いという事実を示していて、世界の富の行方を考えさせるものになっています。

 ・「食べ物」からみえる世界
 世界を身近に理解する方法は、食べ物など私たちが日常的に触れている素材を教材化することでも可能です。熱帯地域の開発途上国で栽培されているコーヒー、バナナ、カカオ(チョコレート)、紅茶などの嗜好品はいうまでもなく、エビ、マグロ、野菜、カレーなどの食材、パーム油(マーガリンや台所用洗剤に利用する)のような原料も教材になります。
 そこでは、生産と消費の関係は、下の図のようになっていて、この「見えない関係」を見えるようにする、身近に感じるようにすることに、教材化の特徴があると言えます。


 ・写真やテレビ番組を教材化する
 松井やイチローの活躍は毎日テレビで流れても、アフリカやアジアの国々の映像はめったに流れません。流れるとすれば、災害や紛争、難民、飢饉など、欠乏や困難に直面している非日常の場合です。途上国・地域の情報が、少なく、時に偏って流される時、私たちはともすれば、「無力で、貧しい」というイメージを抱きがちです(その裏には「日本に生まれてよかった」「私は幸せでよかった」という自己イメージを伴っています)。
 途上国・地域に住む人びとの日常をとらえた写真や映像は、途上国の人びとが「明るく、たくましく、つつましく」生きているという、もう1つのイメージをもつのに必要です。国際協力のNGO・NPOやJICA派遣の青年海外協力隊など開発教育にかかわっている人たちは、そのような視点から、農村や都市のコミュニティに入って人びとの日常をカメラで切り取った写真などを教材化しています。たとえば『フォトランゲージ版地球の仲間たち』(開発教育を考える会)、2003年)『JICAフォトランゲージキット』(JICA、2001年)がそれです。
 また、国連家族年の1994年に出された『地球家族 世界30カ国のふつうの暮らし』(TOTO出版、1994年)は、フォトランゲージ版もでていて、私たちの固定的なイメージを検証するのにすぐれています。さらには、NHKや民放では、報道番組やドキュメンタリーの取材番組などが放送され、開発教育に視点から教材化できるものも多くなっています。(たとえば、フジテレビ系列の「世界がもし100人の村だったら」や若者に人気の「あいのり」という番組など)

 6.開発教育の学習方法(2) 世界を身近に理解する方法(参加型学習)
 開発教育では、以下に示したような活動的な学習を通して学びを深めていくという学習プロセスを多く採用しています。カタカナばかりの名称がついているのは、1980年代の英国において盛んだったワールドスタディーズや開発教育・多文化教育のテキストから紹介されたものが多いからだと私は理解しています。

 開発教育の学習方法 参加型学習一覧
 アイスブレーキング(緊張ほぐし)
 ブレーン・ストーミング
 ウエビング(網の目関連図)、マッピング(構造図)
 ウーリー・シンキング(人間クモの巣)
 フォトランゲージ(写真は語る)
 ゲーム
 ボード・ゲーム(すごろく)
 シミュレーション(仮想の世界)
 ロールプレイ(役割討論)
 ディベート(勝ち負け討論)
 ランキング(優先順位を決める)
 ルール・メイキング(規範作り)、ポリシー・メイキング(政策立案)
 リフレクション(ふりかえり)

 私なりに日本語を付けてみましたが、これらの手法は、現在では日本でもオリジナルな教材とともに一般的になってきています。なかでも、不公正な競争によって富の格差が生じることを体験する「貿易ゲーム」は、英国から輸入されましたが、現在では、小学生版や改良版(「新貿易ゲーム」)が開発され、実践されています。私は、移民と多文化社会をとりあげたシミュレーション「ひょうたん島問題」を教材化しています、ロールプレイやランキングを組み入れた話し合いと問題解決をさぐるものです。
 参加型学習の意義は単に活動の楽しさや面白さにあるのではなく、以下に示したように、教えるものと教えられるものの関係や自己と社会、世界との関係をとらえ直すといった「学びのあり方」にかかわるものであるだと私は考えています(注3)。

 1.活動的学習 Active learning;
 アクティビティや手法の愉しさ、おもしろさ、ものづくりや社会体験、自然体験、フィールドワーク
 2.学びあいの学習 Interactive learning;
 自己の内面と外部、地域と世界、個と他者などの相互関連性、関係性へのきづき
 3.市民性育成学習 Participatory learning;
 市民性や社会性の育成(冷静な思考、話し合う力、調査・観察・表現する力、協力する態度、社会に参加する態度など)

 7.開発教育の学習方法(3) 開発途上国の経験を生かす(PRAとアクション・リサーチ)
 PRA; Participatory Rural appraisalは、主体的参加型農村調査法といわれ、途上国の村落調査法の1つです。それは、外部・専門家・政府役人の「上から」の調査に基づく開発プロジェクトとその失敗・誤りに対する自己批判から出発し、農村や都市コミュニティの貧しい人びとの主体的な参加による自らのニーズ把握と調査によって開発問題をとらえていこうとするものです。1990年代に世界に広がり、村落開発からさまざまな領域で活用され、現在は「PLA: Participatory Learning and Action 主体的参加による学習と行動」と呼ばれるように、教育学の領域でも活用可能な調査法になっています(PRAについてはR.チェンバース『参加型開発と国際協力 変わるのは私たち』明石書店。2000年に詳しい)。
 PRAにおける外部と農村、専門家と農民の関係は、学校において教師と生徒の関係と対比することが可能です。教師の一方的な教え込みではなく、学習者の主体的な問題の発見、課題の設定、問題の影響や広がり、背景の探究、解決への行動は、PRAにおける学習と行動のプロセスに比することが出来るでしょう。
 このような視点から、アクション・リサーチという手法を使って、学習のプロセスと主体的な学びを意図したものにイギリスの市民性教育(Citizenship)のテキストGet Global!(英国政府国際開発省、OXFAM、Action Aidなど、2003年)があります。


 Get Global!は、市民科がナショナルカリキュラムに導入される前に、政府とNGOの協働プロジェクトですが、アクション・リサーとPRAの手法をつかって、貧困や不平等、ホームレス、妊娠・安全なセックス・エイズなど若者の健康、テロリズム、動物虐待、リサイクル、グローバリゼーション、学校のトイレと犯罪など、子どもたち自らが直面している問題を学習し、行動的な市民性(Active Citizenship)を育てようとしたものです(注4)。
 こうして、PRAという開発教育のフィールドともいえる途上国での経験が、参加型学習やアクション・リサーチと結合して、素材の提供や教材化のレベルをこえて、開発教育の学び方や教え方にも影響を与えています。本稿の趣旨が、「活動をとおした構成的な学びの獲得」や「学びとしての開発教育」にあるのはそのためです。

 8.開発教育の学習事例 ワークショップ
 「活動をとおした構成的な学びの獲得」として、開発教育では様々なワークショップを用意します。私の講義でも、以下のようなワークショップを行ないました。

 ・「100人村ワークショップ」:世界がもし100人の村だったら
 教材キットが(特活)開発教育協会で販売されていて、30人ぐらいからでも可能なように換算表がついていて使いやすい。人口や食料、識字、宗教、言語など世界の人びとの状況が体感できます。テレビ番組「世界がもし100人の村だったら」(フジテレビ系列)も映像化した資料として使えます(ただし、悲惨さを強調しすぎているのが欠点です)。

 ・「地球家族」(写真とビデオ);世界の家族の物語、開発とは?成功とは何?
 写真集『地球家族』を教材化したフォトランゲージ版が、ERIC国際理解教育センター(http://www.try-net.or.jp/~eric-net/)で販売されていて、世界30カ国のその国の平均的な家族の生活の様子やモノの豊かさなどが比較できます。またその中の5カ国のその後を取材した「地球家族2001」というテレビ番組(NHK)もあって、動きのある映像やインタビューによって、時間とともに人びとの思いや希望が変化し、幸せや成功、開発とは何かを深く考えさせられます。

 ・「あいのり」から見える世界:貧困と開発、植民地化と先進国の責任
 若者に人気の男女合コン型旅行番組(フジテレビ系列)ですが、アジアやアフリカなど開発途上国に出かけるので、そこでの若者の見聞が収録されていて、教材としての活用もできます。現地の開発支援プロジェクトのリーダーから、アフリカの貧困はあなたたち先進国の責任だといわれて、ショックを受けて考え込む場面など興味深いです。

 ・「貿易ゲーム」(小学生版)から見える世界:不均衡な相互依存・不公平な競争
 『新しい開発教育のすすめ方』(古今書院)に紹介されている。グローバリゼーションによる世界の変化をふまえた「新貿易ゲーム」が開発教育協会で教材化され、販売されている。貿易ゲームのゲーム性のみをとりだして、市場経済における企業競争ゲームに改ざんしてしまう団体も最近はあるので、私は、不公正な自由競争や不均衡な相互依存が、より明確に体験できる小学生版を用いています。

 ・カカオ/コーヒーから見える世界:不均衡な相互依存、児童労働
 カカオ(チョコレート、ココア)やコーヒーは私たちの日常のくらしに欠かせませんが、植民地型単一耕作の世界商品であるために、価格変動の激しさや債務的な労働が見られます。すでに述べたように、身近な食べ物を素材を通して、見えない関係をみていくというワークショップとして行ないます。

 ・ハワイを事例に:19世紀世界システムの形成と開発、多文化社会、先住民・移民
 いわゆる欧米諸国や日本による植民地化の歴史を抜きに、開発問題を語ることは出来ません。ハワイは、いまはアメリカ合衆国の1つの州ですが、アジアやアフリカの植民地化の歴史、おしょび、現地社会とそこに住む人びとの社会的、文化的変容(多文化社会)を語る素材としても教材化が可能です。

 ・「ひょうたん島問題」からみえる日本:「内なる国際化」から「多文化共生」へ
 「ひょうたん島問題」は、私のオリジナル教材で、「ひょうたん島」に「カチコチ島と「パラダイス島」から人々が移民としてやってきたときに発生する社会問題をシミュレーションとして設定し、問題への共感や理解、問題解決のあり方を、ロールプレイとランキングをつかって、探っていくものです。外国人児童・生徒が多く学ぶようになっている現在の日本の学校や、多文化共生の課題に直面している自治体にも提要が可能な教材です。「ひょうたん島問題」の展開については研究室ホームページをご覧ください。

 ここでは、アクティビティの詳細については触れることが出来ませんが、植民地支配と現在の南北格差という世界システムの形成と展開のなかで、先住民や移民、多文化社会などを学習することによって、国際協力や開発援助だけが、開発教育とかかわるのではなく、地域の国際化や多文化もかかわるのだということを、ワークショップを通してみていくものです。

 9.私たちにできること・変わるのは私たち 国際協力、国際貢献、市民社会の形成
 このようなワークショップを通して、私たちができることについて考えていきます。それは、海外での協力や支援の活動だけではなく、地域での共生の課題への取り組みも大切なことだと気づいていくようにしたいからです。問題の相互依存や選択の多様性に気づいていくことで多様なアクターとして関わることができる、問題解決に至る行動、アクションもまた多くの選択肢があることを知ってほしいからです。

 多様なアクター
 政府開発援助/ODA
 JICA・青年海外協力隊
 自治体/国際交流協会
 企業/社会貢献、技術協力、通商・貿易
 NGO/市民活

 アクションの方略
 短期的、緊急的
 長期的、構造的
 国際協力
 民主的な市民社会の形成

 私は、「国際貢献」のアクターを析出するために、横軸に、行為主体として「政府・国家アクター」と「非政府・企業・市民アクター」をとり、縦軸に、行為空間として「海外」と「国内」をとり、4領域にわけて検証したことがありますが、これをみてもじつに多様なアクターがあることがわかります(下図)。わたしたちができることは多いのです。開発教育においても同じことではないでしょうか。


 拙稿「時事的問題学習としての社会科 平和と国際貢献をめぐる論点・争点 」『富山大学教育学部研究論集』第6号、2003年、49-57頁より)
  私に関して言えば、大学生ができることの1つとして、スタディツアー(海外研修)を実施することがあります。主にタイにおける都市コミュニティ(貧困地域)の支援に当たっている市民活動の現場訪問するものですが、参加者には、貧困や支援を考えるきっかけになっていると思っています(注5)。

 10.評価 学びのふりかえり(Making a difference)

 講義では最後に、学びのふりかえりreflectionをします。ふりかえりは、参加型学習やアクション・リサーチにおいて大変重要な場面で、「活動をとおした構成的な学びの獲得」や「学びとしての開発教育」を検証するためにも必要です。
 最初に行なった「構成的・仮説的定義」によって作成した図(本稿の最初に提示した写真)をもう一度みながら、学習過程(授業)のなかで獲得したもの(Making a difference)を話し合っていきます。
 たとえば、開発教育の重要な概念である貧困について、それは、「人間の可能性の選択の機会」を奪うこと(UNDP「人間開発」A.セン『貧困の克服』2002)であることを確認していきます。また、知ることの重要性(「最大の非協力は無関心である」)や何がしかのアクションの可能性に気づき、学校で教員になっていくことの意味についても、新たな視点を獲得していきます。
 こうして、ふり返りをすることで、学生諸君が途上国支援という狭い枠組みから開発教育の視点を広げていったことがわかるのです(写真参照)。


 11.参考文献

 ・ S.Fisher & D.Hicks『WORLD STUDIES 学びかた・教えかたハンドブック』めこん,1991年。
 ・ G.Pike & D.Selby『地球市民を育む学習』明石書店、1997年
 ・ 木村一子『イギリスのグローバル教育』勁草書房、2000年
 ・ 『ユニセフによる地球学習の手引き』教育出版、1997年(小学校、中学校)
 ・ 大津和子『国際理解教育 地球市民を育てる授業と構想』国土社,1992年
 ・ 大津和子・溝上泰編『国際理解重要用語300の基礎知識』明治図書、2000年
 ・ 魚住忠久『グローバル教育の理論と展開 21世紀を開く社会科教育』黎明書房,1987年
 ・ 米田伸次他『テキスト国際理解』国土社、1997年
 ・ 開発教育推進セミナー編『新しい開発教育のすすめ方』古今書院、1995年
 ・ 田中治彦『南北問題と開発教育 地球市民として生きるために』亜紀書房,199
 ・ 国際協力推進協会編『開発教育・国際理解教育ハンドブック』2001年
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sanka/kyouiku/handbook/index.html
 ・ ロバート・チェンバース『参加型ワークショップ入門』明石書店、2004年
 ・ DEAR(開発教育協会)公式サイト:http://www.dear.or.jp/
 ・ 藤原孝章原著監修「ひょうたん島問題」教材キット03-3560-2411ジークス社

 
 1.以上の論説や大学における開発教育論の現状については、拙稿「大学ではどんなことができるの?」(特活)開発教育協会『開発教育ってなあに?Q&A集改訂版』、2004年、28-29頁を参照してください。
 2.イギリスのワールド・スタディーズについては、S.Fisher & D.Hicks(1981)、G.Pike & D.Selby(1997)、木村一子(2000)、大津和子(1992)を参照して下さい。1990年半ばまでの関連教育の事情については、拙稿「国際理解教育の50年と今後の課題」開発教育協議会『開発教育』No29、1995年、31-40頁を参照してください。
 3.参加型学習に意義や手法について詳しくは、拙稿「気づきで終わる、気づきから始まる 参加型学習の広がりのため 」『人権教育』(明治図書)第4号、1998年、51-59頁。および「参加型学習の様々な手法」国立教育政策研究所社会教育実践研究センター研修資料『社会教育主事のための社会教育計画』2005年を参照してください。
 4.私もかかわっていますが、英国の市民性教育の調査研究については、水山光春編『英国シティズンシップ教育に学ぶ心的資質教育の研究』(平成16年度京都教育大学教育改革・改善プロジェクト研究成果報告書、2005年)を参照してください。
 5.詳しくは私の研究室ホームページにて、「海外ボランティア体験記」(2001年)、「スタディー・ツアー体験記 タイ・バンコクで学んだこと(報告書)」(2003年)、スタディー・ツアー体験記 タイ・開発と環境をめぐる旅(報告書)(2004年)を参照してください。
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